賞の制定
旭川文化団体協議会
旭川の文芸美術を愛する諸サークルで結成される旭川文化団体協議会が運営してきました。当時の事務局長・谷口広志氏の奔走による関係者間調整で賞の制定、第1回の作品募集から始まり、建立翌年43年を第1回として小熊秀雄賞をスタート。当初は北海道に居住する詩人の作品を対象としたが、第5回から発展的に全国エリアとして募集を広げる。
現在の運営主催団体
小熊秀雄賞市民実行委員会で主催しております。
第40回をもって終了と発表した旭川文化団体協議会。全道、全国から惜しむ声が相次ぎ、平成18年11月1日、小熊の業績をたたえるとともに、「北の文化」として受け継ぐべく小熊秀雄賞市民実行委員会が発足、第41回へと継承継続することになりました。
詩碑建立
動機と経過
旭川の文芸誌「円筒帽」の旧同人メンバーの発意に端を発します。
昭和33年頃、旧円筒帽のメンバーが最初の狼煙を上げ彫刻家・加藤顕清デザインによる詩碑を構想していましたが途中で停滞。時を経て昭和41年、旭川文化団体協議会有志によって再燃、両者で詩碑建立期成会を発足させ活動に入り、市民カンパを募り市費の補助も得て昭和42年5月28日、常磐公園の一角に設置されました。
詩碑除幕式
来賓には次のような方々も出席されました。
つね子未亡人をはじめ、小熊秀雄が東京で活躍していた頃交流のあった詩人・壺井繁治、作家の中野重治氏等も前夜祭にも参加され、記念講演や市民サークルによる小熊の詩作品朗読など市公会堂ホールにおいて盛大に開催されました。碑文揮毫は壺井繁治氏によります。
小熊秀雄賞
詩碑建立活動と並行しながら賞制定案も検討されていました。
詩碑建立の基金目標額は120万円、旭川市から助成金50万円に加え活発な資金造成活動により突破。除幕式に出席された壺井、中野の両氏から賞制定の基金にと寄付を得、これに建設剰余金をもって小熊秀雄賞基金として制定をみるに至りました。